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クリシュナムルティ/最後の日記より•••

 どんな場合でも決して「どうすれば」とは尋ねない事。

「どうすれば」という言葉を用いるときは、君に何をすればよいかを教えてくれる誰かを求め、手をとって指導してくれる案内者、方式をほしがっているので、君は自分の自由、観察する能力、自分自身の行為、思考、生き方を見失ってしまいます。「どうすれば」と尋ねるとき、全く中古の人間になってしまいます。
誠実さを失い、自分自身を見、あるがままの自分であり、あるがままの自分を超えてゆく、そういう生来の正直さを失います。「どうすれば」とは決して決して尋ねないこと。

 もちろん、心理的な事を話しているのです。モーターを組み立てたり、コンピューターをつくりたいときは「どうすれば」と尋ねなければならない。誰かからそのことについて、学ばなくてはならない。
しかし、心理的な自由さと独創性は、君が君自身の内的行動に目覚め、何を考えているかを見守り、どの思考でもその本質と根源とを観察せずには逃げ去らせないようにするときにだけ、君のところに訪れてくるのです。

観察し、見守ること。読書から、また誰か心理学者や難解な賢く博識な学者や教授などから学ぶよりは、見守ることによるほうがずっとよく自分自身について学べます。

このことは決して容易ではありません。君はいろいろな方向に引き裂かれるでしょう。いわゆる生物学的な、社会的な誘惑というものが非常にたくさんあって、君は社会の残酷さにひきちぎられるかもしれません。
もちろん、君は単独で立ち向かわなければなりませんが、それは、力や決意や欲望を通して起こるのではなく、君の周囲、君の内部のにせもの、感情や希望をみはじめるときに起こるのです。
にせものを見始めるとき、そこには気づき、英知のはじまりがあります。

君は自分にとっての光でなくてはならず、それは生の中で最も難しいことのひとつです。

クリシュナムルティ「最後の日記」より


クリシュナムルティの言葉はいつも新鮮で心に響きます。。。
ついつい「どうすればいい?」と安易に答えを求めてしまう私にとってハッとさせられる一文でした。。。
 
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